鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「評論家はいらない」

今朝、通勤電車の中で読んだブログ。

 

<教養のない実務家が跋扈する時代を終わらせるべき>

http://ta26.hatenablog.com/entry/2018/06/05/082459

 

「ちょっと十把一絡げし過ぎじゃない?」

とも思いましたが、大筋においては納得できる内容かと。紹介されてる本を読んでみよーかなーとも思ってます。

 

読みながら思い出したのが、担当者時代に上司が言ってた、

「評論家はいらない」

って檄。

まあ割と「あーだこーだ」いう奴が多くて、その割に「結果」を出せないこともあったんで、そのことを指しての発言だったと思うんですがね。

「アレコレ批評するよりも、行動」

これは自戒としても正しいと、今も思っています。

 

ただ「評論家はいらない」と言ってた本人は、結構な教養人で、分析力もあり、見識ある「評論家」でもあったんですよw。

多分、あの方はその「評論家としての自分」と言うのを強く意識してて、それを踏まえて、

「考えてるだけではダメで、それを実行に移し、その試行錯誤の上に結果を出さなければ意味がない」

と言ってたんだと思います。

 

じゃあ、それを聞いてた部下がどうかと言うと、まあ相変わらず「あーだこーだ」言う輩の多い職場ではありますが(自分も含めw)、下手をすると、「考える」部分を軽視して、「行動」に最上の価値を置く様な人材を増やしちゃったかも…と思わなくもないです。

その果てが日大アメフト部の様な組織に…とは思ってませんが、「思想なき組織」の危険性を孕んで来ている危惧はあります。

それは経営陣も少なからず考えてるんじゃないかな~(そう言うメッセージが増えてる様に思います)。

 

ここのところ「リベラル」への風当たりが強い時期が続いていました。

リベラルの持つ「鼻もちのならなさ」ってのは僕も共感するところがあってw、一連のリベラル批判には「一理ある」とも思ってました。

でもその風潮は、リベラルの中にあった、「思想や哲学に対する尊敬の念」みたいなものまで失わせた様な気がするんですよね。

その思想や哲学が具体的にどうだったかってのはあるんでしょうが、だからって

「思想や哲学なんて面倒くさいことを言うのは無意味」

ってのはちょっと…。

安倍政権に対して僕が持ってる懸念は、こう言うところにありますし、財務省の惨憺たる有様にもそんなことを感じます(それを「反知性主義」と評するのかどうかは、分かりませんが)。

 

まあ「結果」の方も「?」みたいな状況も出て来てますから、風向きは変わって来てるのかもしれません。(そういう意味で、<実学>はクールでもあります。「行動しても成果が出ないんなら、ダメ。思想性が成果につながるなら、それを尊重すべき」

…ともなるので)

その中で如何に「思想」や「哲学」への尊敬の念を復活させるのか。

次世代に向けて重要なのは、そこかもな…などと考えています。

 

(そもそも「思想」や「哲学」をどう定義するか…

ってのもあるかもしれません。

「机上の空論」はやっぱり無意味でしょうから。

真の意味での「思想」や「哲学」には<身体性>があると思うんですよ。ただそれが極めてパーソナルなものに収斂しがちなため、それを身につけていた人がいなくなると、「空論」に堕してしまう。

例えば「維新」を成した元勲たちがいなくなった昭和初期の日本がおかしくなった様に…

って言うと、あまりに司馬遼太郎史観っぽい?w)