鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

父が永眠しました。

2月20日、父が息を引き取りました。

お悔やみを頂戴した皆さまへのご報告と、自分自身への覚えを兼ねて、経緯を記しておきます。

 

息を引き取ったのは、2月20日午前2時23分。心不全でした。

83歳、享年85歳となります。

 

その2日前、2月18日(日曜日)の午後6時半ごろ、体調の不良を訴え、病院への連絡、タクシーの手配を母の助けを借りながらも自分で行い、病院へは歩いて入ったものの、そのまま集中治療室に入りました。

 

翌日19日にはやや持ち直した様子も見え、母や、午後に駆けつけた地元在住の叔父・叔母(父の弟・妹)、神戸在住の僕の妹・妹の娘たちとは言葉を交わすまでになっていました。

しかしながら20日午前1時前、病院から「意識を失った」との連絡があり、母と妹が駆け付けましたが、そのまま意識が戻ることなく、息を引き取りました。

 

入院して2日でのことですので、急なことではありました。お葬儀の席でも多くの方が驚いておられました。

家族にとってももちろんそうなんですが、一方である程度の覚悟はありました。

 

11年前に父は会合の席で突然発作を起こし、心肺停止状態に陥りました。

たまたまその会合に医師の方が出席しておられ、その方が救急車が来るまで心臓マッサージを続けてくださったこと。

担ぎ込まれた日赤の先生が、どこまでの効果があるかはわからないながらとおっしゃりながらも、新しい施術を施していただき、それが成功したこと。

等々、幸運が重なり、この時は奇跡的に後遺症なく、復帰することができました。

 

ただ以降も何度か心臓の発作を繰り返しており、昨年は6月と11月に発作で入院していました。

11月に入院した際には、11年前に診ていただいた先生から、

「11年前は60%だった心臓の稼働が22%までに落ちている。正直言って死んでいても不思議がないくらい」

「年齢的にも手術のリスクが高く、今までの薬の副作用もあって、これ以上薬を増やしていくこともできない。いまの状況のままで行くしかない」

とうかがっていました。

 

今年のお正月は僕の家族と妹家族が揃い、松山でユックリと過ごしました。

「もしかしたら最後のお正月かな」

と半ば覚悟していたところもあります。

 

結局、僕は死に目に立ち会えませんでしたが、そう言う経緯もあり、覚悟はしていました。

20数%しか動いていない心臓で、父もよく頑張ってくれたと思っています。本当に感謝しています。

(それでも驚きましたし、残念でもあります。この時ばかりは「金沢から松山は遠いなぁ」と思いました。

まあ、何度も復活して見せてくれてた父ですので、心の中で「今回も」と言う思いもあったんですよね)

 

通夜・告別式は近親者のみにて執り行いました。

慣れないことで右往左往でしたが、なんとか無事に終えることができました。

 

まあまだまだバタついてますし、祭壇の遺影を見ても、正直ピンと来ないところもありますけどね。

これはこれから徐々に心の中に落ち着いて来ることなんでしょうか…。

 

まずはお悔やみを頂戴いたしました皆さまに感謝申し上げます。

父の助け失くしても、残された家族はなんとかやっていきたいと思っておりますので、引き続きご厚誼賜りたく、よろしくお願いいたします。

 

ありがとうございました。