鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「どうすべきか?」は放り投げっぱなしですが:映画評「ザ・サークル」

普段なら観ないタイプの映画なんですが、あの原作をどう処理したのが気になって…。
脚本には原作者自身も絡んでますしね。



ザ・サークル


かなりビターな原作のあのラストを、「まさか、あのままはやらんやろう」とは思ってましたが、全体的には相当原作に沿っているのに、ちょっとびっくり。
エマ・ワトソン演じる主人公は原作より「良識」寄りですが、まあコレは当然でしょう。
その主人公にして、あのラスト。
まあ、溜飲が下がるところもありますが、全然「勧善懲悪」じゃない。
コレからの社会、あれでええの?


まあハリウッドってのは「人々の善意」やら「団結」やら「つながり」やらが大好き。
無名の人たちが主人公を応援する…ってシーン、多いじゃないですか(僕も大好きw)。
そういう意味でSNSの基本理念っていうのは、ハリウッド的でもあるんですよね(西アメリカ文化的というか)。
そんなこんな考えると、こういうオチもなんとなく分からんでもないというか…。
全然「回答」は指し示されてないけど。


原作で一番ゾッとしたのは、(映画にもなった一般人を追い詰めるシーンもそうなんだけど)「自分の祖先が何をしたかを明らかにする」という「パーフェクトパスト」というプロジェクト。
自分ではなく、「祖先」がしたことによって追い詰められて行く人物の姿には背筋が寒くなりました。
「過去」に「現在」が追い詰められて行く。
コレって、ネットの一面としてあるものです。
しかし「現在」はどこまで「過去」に規定されなければならないのか?
もちろん「過去」の積み重ねが「現在」ではあるのですが…。(ましてや「自分」でない「先祖」のことまで)


まあ何にせよ、予想以上に本作はよくできた映画だったと個人的には思っています。
ちょっとした「未来の技術」の映像化としても、なかなかクール。
それはそれで「使ってみたいな」と思わなくもなかったですよ。
あそこまで「シェア」に奔走したくは、もちろんありませんがw。