鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

事実は小説より…:読書録佐治敬三と開高健 最強のふたり」

佐治敬三開高健 最強のふたり<上・下>
著者:北康利
出版:講談社+α文庫

琥珀色の夢」では佐治敬三の「養子」の背景にほとんど触れられれてませんでしたが、本書では「佐治敬三」という人物の「陰影」を形づくる重要な「事件」として大きく取り上げています。
それは全く間違い無いと思うんですが(佐治氏本人の「こだわり」方からも)、「琥珀色の夢」を読んだものにとっては、同時にそれは「鳥井信治郎」の人となりにも大きく関わる「事件」だったと思わざるを得ません。
そして、「なぜ伊集院静氏は、ここに踏み込まなかったのだろうか?」とも。


<たとえば山口は戦前編の中で、信治郎について取材した際のこんなやりとりまで収録している。


鳥井信治郎のわるいところはどこですか。いちばん厭な面はなんですか」
開高と私はそんな取材の仕方もしてみた。
「そやなあ…」
古老の一人が考え込んだ。
「ぼくらになら、言ったっていいじゃないですか」
「ふうむ」
なおも考え込んでから、ぽつり、と言った。
「金や」
「…?」
「なんでも金やった。わてはそういうところが厭やった。>(「サントリー七十年史」より)


一代で成り上がった男が「金」に対して淡白だったはずがない。
同時に、単なる「守銭奴」であったはずもない。
この間にこそ、「鳥井信治郎」の「何か」があるのではないか?それを象徴するのが「佐治家との養子縁組」だったんじゃないか
…と僕は思うんですが。
それだけにそれをスルーした「琥珀色の夢」にはちょっと残念な気持ちが、本書を読んで残りました。
もしかしたらそれは別の小説に仕立てようと、伊集院氏は考えてるのかもしれませんがね(それなら立派w)。


本書は「佐治敬三」と「開高健」と言う、表面上は陽気で豪放磊落なイメージすらを持っていながら、その内面には深い「陰影」と「闇」を抱えた二人が、互いに刺激し合いながら、「ビジネス」と「文学」、その交錯する「広告」という世界で、「何か」を成し遂げて行く姿を描いていて、実に面白かったです。
正直、「琥珀色の夢」よりもw。


まあ、その行き着いた先が、二人では随分と違っていて、それが何だか寂しい気分にもなっちゃうんですが…(これは「開高健」の方に肩入れして読んじゃったが故かもしれません)。