鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

今の国や自治体の政治の状況を見てると、「それもありか」と:読書録「AIが神になる日」

・AIが神になる日 シンギュラリティーが人類を救う
著者:松本徹三
出版:SBクリエイティブKindle版)


伊藤忠クアルコムソフトバンク等で一戦を戦って来たビジネスマンが、シンギュラリティーを見据えた社会のあり方について論じている作品。
「哲学」「科学」「宗教」等に関する考察を踏まえながら、「来たるべき世界」を語っています。


題名は「AIが神になる」ですが、むしろ主張としては「AIを神にしたほうがいい」って感じですね。
シンギュラリティを超えたAIの「能力」を評価するとともに、そうしなかった時の「リスク」(徹底的な能力差があるAIを悪用する勢力が生まれる)についても言及しつつ、「どういうステップを踏んでいくべきか」「留意点は何か」「その中で『人間』は」といった論が展開されています。


僕自身は「シンギュラリティー」の実現については懐疑的なんで(作者もカーワイルが言う「2045年」は難しいと考えています)、「神にする」ことについては賛同しきれないんですが、その「可能性」があるのであれば、それに対処すべき…ってのには説得力がありました。
イーロン・マスクのスタンスもそこら辺ですかね
http://www.epochtimes.jp/2017/07/28006.html


それに今の国や自治体の状況を見てると、AIに頼るべきって気もしてきます。
政治家や役人の能力が低い…って言うんじゃなくて、あまりにも「選択肢」が複雑化し、かつ事態の進行が早すぎるんですよね。そこには複数の既得権益者が絡み、その調整に多大な労力が払われる一方、既得権益を守ることが社会の将来性を損なっている可能性もある。
「資本」(ヒト・モノ・カネ)に限りがあることが見えている中、「解」を政治家や役人が見出すことは無茶苦茶難易度の高い話になってると思うんですよ。
そんな中、「選択肢」と「メリデメ」を提示してくれるAIがあったら…


最後の決断(意思)を委ねることには抵抗感がありますが、その前段階なら、
「その方がイイんじゃない?」
って気分になっちゃいましたw。今の政治をめぐる状況からのバイアスも相当にある気もしますが。


もちろん、コトはそんなに簡単じゃなくて、作者自身もその点を強く指摘しています。
最大のポイントは「AIに設定する倫理」。
言ってみれば選択をする際の「方針」「方向性」の設定ですね。


<「民主主義の精神」「人権」「人道」「倫理」「公平」「遵法」「全体利益の長期的最大化」「最大多数の最大幸福」「弱者の救済」などについて、しっかりとした「定義」を明確に示すことが第一歩です。>


でもそれを定義するのは「人間」。
ここにどこまで信頼性を置けるのか…(従ってあまり詳細には定めず、大きな方向性にすべき…と作者は主張し、AIが拠って立つべき「理念(信念)」として「自立宣言」の案を示しています)。


ただそこで足踏みしてても、「他の誰か」が先に行ってしまうかもしれない。
「独裁的」「独善的」な理念に拠って立つべき「AI」が誕生し、シンギュラリティを超えた時の壊滅的な「未来像」を考えると、「今」そのための「哲学」を考え始め、手を打たなければいけない。
作者はそう主張しているように思います。


どこまで「AI」は進化するのか?
果たしてシンギュラリティは訪れるのか?


答えを知ってる人はいないでしょう。
ただそのことを見据えつつ、新たな「哲学」を考えると始めなければならない。
それは確かなことのように思いました。


なかなか刺激的な作品ですよ