鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

「技術」が支える:映画評「シーモアさんと、大人のための人生入門」

イーサン・ホークが俳優人生に迷ってる時に出会い、感銘を受けて、自らメガホンを取ったドキュメンタリー映画
シーモアバーンスタインはピアニストとして成功してたけど、50歳で引退し、その後は音楽教師として後進を育てている人物。結構、その筋では有名な方のようです。


シーモアさんと、大人のための人生入門」


イーサン・ホークは多分、「商業主義」との兼ね合いで俳優としてのあり方に迷ってたんだと思うんですが、シーモアさんは「商業主義」と「芸術」は対立するとのスタンス。そこら辺から、深い考えと経験に裏打ちされた話に、イーサン・ホークは救われたんでしょうね。
(もっともシーモアさんは「音楽教師」として結構成功してるようです。そう言う意味じゃ、単に「コンサート」が向かなかっただけかも…)


作品の中ではシーモアさんが生徒に教えている姿も映されてます。
これが結構具体的。
単に「強弱」を言うだけでなく、体重のかけ方や、身体の動かし方、鍵盤の押し方等、かなり「身体的」なアプローチでの技術を、細かく教えています。
で、またそれを受けての演奏の変化が如実なんですよね。
「技術」が「芸術的表現」を支えていことを、「目に見える形」で教えてくれます。


本作の中ではグールドの演奏シーンも出てきます。
シーモアさんはグールドに批判的。
そのことに頷きつつも、一方で
「芸術的衝動」が身体的技術を支えるってこともあるんじゃないか、
そのために技術を持っていながらも、表現が制約されることもあるのではないか、
その「表現」に、他を圧するような深みがあることも…
などと思ったりもしました。
単なる「グールド贔屓」なのかもしんないけどw。


「何かを積み重ね、その何かを指針として、人生に対峙する」
大人のための人生入門ってのは、そう言うことかもしれません。
確かにシーモアさんの言葉には耳を傾けさせる、「何か」があります。
まあ、そりゃグールドに教えてもらうより、シーモアさんの方がズッと良さそうですよw。