鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

何となく引っ掛かる…:読書録「そして、暮らしは共同体になる」

・そして、暮らしは共同体になる。
著者:佐々木俊尚
出版:アノニマ・スタジオ


すっかり「料理人」になっちゃったのかと思ってたwジャーナリスト佐々木俊尚氏の新作。
…なんですが、購入してから(12月)なんとなく放置しちゃってました。読み出したら「すぐ」だったんですけど。


基本的におっしゃってることに違和感はありません。
戦後、高度成長期を中心に成立した「中央集権的」なあり方と、それに対抗するリベラル勢力の「反抗クール」なあり方。
これらが時代の趨勢とともに有効性を失いつつあり、それとは違う「横」のゆるいつながりを以って、「生活」を重視するあり方が求めらっれるようになったのではないか。


まとめるとこんな感じでしょうか?
そしてその「横のゆるいつながり」が、旧来の「土地」に縛られた「共同体」ではなく、インターネット/スマホ/PC等によって支えられた「デジタルな共同体」によって成立する…っていうのは、ネット絡みの情報を主として取り扱ってきた作者ならではの視点。
ここら辺も特に違和感はないですけどね。


まあ、ちょっと引っ掛かるのは「反抗クール」って言い方かな。w
ジャーナリストを志望していた作者自身がそういう傾向を持っていただけに、ある種の自省を込めてこういう言い振りになってるってことはあると思うんですが、ちょっと「鼻に付く」感じはありました。
僕もリベラル勢力の「正義漢ぶり」に嫌気がさすことは少なくないし、ここら辺の作者の分析は結構「当たってる」と思いますが、一方で「保守」の方がどうかって言うと、今の森友学園騒動を見てると、「なんだかなぁ」って有り様。
ここら辺は「リベラル」云々と言うより、「思想」を前面に押し出すことの胡散臭さみたいなところが出てきてるんじゃないかと、個人的には思ってます。
「意識高い系」にも通じる話ですかねw。


「デジタルな共同体」についても、本書で取り上げられている「MERY」が著作権絡みの騒動に巻き込まれてしまったように、色々課題はある様子。
むしろ作者自身もやっている「私塾」的な動きの方が近い世界を作ってるように思いますが(ホリエモンとか勝間和代とか)、それはそれで「閉鎖的」な印象もあるんですよねぇ。
なかなか難しいものです。


<「誰になるか(to become someone)ではなく、誰かと一緒にいること(to be with anyone)なのだ」
憧れる立派な何者かになるために自由を求めるのではなく、好きな人たちと一緒にいられる、そういう生を実現することこそが大切なということなのです。>


全くそうだと思いますし、個人的には期待してるところもあるんですが…。


まあでも「今」を考える上で面白い視点を提供してくれるというのは確かだと思いますよ。
かもめ食堂」が好きな人なんかには敷居が低い世界観じゃないでしょうか。
僕自身はあの映画には「う〜ん…」ってとこもなきにしもあらずなんですけどねw。