鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

リベラル批判・・・ってわけでもない:読書録「『リベラル』がうさんくさいのには理由がある」

・「リベラル」がうさんくさいのには理由がある
著者:橘玲
出版:集英社

「リベラル」がうさんくさいのには理由がある

「リベラル」がうさんくさいのには理由がある


「言ってはいけない」でちょっと弾みがついてw、リバタリアン「橘玲」の新作をもう一つ。
<「民主主義」をやめることから始めよう。>
って煽りに惹かれたってのはあるかな。もっともこれは「釣り」でw、「『民主主義』ってのは主義じゃなくて『政体』の事で、今やその『民主政』の中でどういった『政策』を選択するのかがポイントになってる」ってことを言ってるだけだったんですけどね。
まあ、「橘玲」らしいw。


「週刊プレイボーイ」に連載してたコラムをまとめた作品で、そういや先行する作品も読んでたんだけど、本作については長い書き下ろしが冒頭にあって(「リベラルの失敗」)、「沖縄戦集団自決」をめぐる「リベラル」の迷走に始まり、「リベラル」批判でまとまってる感じはあります。
まあ、言ってることは「その通り」って感じですよ。相変わらずw。


「ダブルスタンダードが問題なんだ」
って指摘はもっともで、その批判の「刃」は日本の「保守陣営」にも向けられています。「リベラル」批判を展開してるのは、別に作者が「保守」「右翼」ってわけじゃなくて、「リベラル」に日本の戦後の歪みが象徴的に現れてるって、作者の戦略的なチョイスなんですよね。
その「戦略」は理解するけど、個人的には今の風潮は「ちょっとリベラル批判に偏りすぎ」って印象を持っています。
その分、保守陣営の「底の浅さ」みたいなものが、目についてきてるもので(あくまで個人的見解ですよw)。


そういう意味では「ダブルスタンダード」を問題にした論に加えて、「真っ当なリベラリズム」を唱える人物として井上達夫氏の著作(「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」)を紹介してる中で、「啓蒙」と「寛容」について言及してる所に気づきを得ました。
行きすぎた「寛容」が混乱をもたらしている。言い換えれば「理想」や「合理性」を語る「啓蒙」の後退が社会を劣化させているように感じさせる・・・ってのが個人的な印象ですね。
(「反知性主義」というと、その言葉自体がすでに派閥的な意味合いを持ちつつあるので、避けますが)


「現実的であれ」
というのは、もちろんわかるし、現実の煩雑さを受け入れることに政治の「力」もあるのですが、そう言ってる陣営もまた「ダブルスタンダード」を抱えており、「観念的」なバックボーンに実は支えられているという・・・。
個人的には「リバタリアン」ではないと思ってますが、本作で作者が切り出して見せてくれる「見方」には考えさせられるものがあります。
主張の一つ一つのなかには、賛成できないものもありますけどねw。


今回、安倍政権が「消費税導入」を延期したことで、安倍政権としては一歩背水の陣に近づいたとみています。
「第三の矢」である、岩盤規制の撤廃。
いわゆる「リバタリアン」的政策の導入に踏み切らざるをえなくなるのではないか・・・と。
ここら辺は安倍氏自身の思想的な背景とは一線を隠した形で進んでいくのではないかと、期待し、恐れもする。
・・・ってのが僕の立場でしょうか。
橘氏は当然それを望んでいるでしょうし、その可能性を見るからこそ、「リベラル批判」の視点から本書をまとめたんじゃないかなぁ・・・ってのは考えすぎかな?w