鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

立ち上がらなあかん。:映画評「ロッキー・ザ・ファイナル」

ポッドキャストのウィークエンドシャッフルでの「スタローン特集」を聴いて、なんか観たくなっちゃたんですよね。
「グリード」が望外に面白かったってのも、もちろんありますが。



「ロッキー・ザ・ファイナル」


功成り、地元で尊敬も受ける存在となっているロッキー。
しかし胸の奥にはまだ「何か」が残っていて、その全てを燃やし尽くすために、またもやリングへ…


というのが基本的アウトライン。
まあ「尊敬される人物」になってるところが、「負け犬」だった一作目とは違うわけですが、ストーリー構成はほとんど同じような…w。


それでも感動せざるえない「何か」が確実に本作にはあります。
妻(エイドリアン)の死、息子との距離感、自分自身の老い。
「何か」の原因にはあれやこれやがありつつも、全てが説明は仕切れない。
そこには「生きる」こと、「人生」そのものを前に進める「何か」が見え隠れします。
息子への言葉にはグッときますな。


ボンクラな「負け犬」が何度も立ち上がった一作目よりも、本作の方に感情移入が強くなっちゃったのは歳のせいでしょうね、やっぱり。
いや、だからって1作目あっての本作なのは確かですし、ちょっと「?」ってところもないではないんですが。(女っ気はいらんかったんちゃうかなぁ。やっぱロッキーはエイドリアンですわ)


息子や知人の子供、あるいは対戦するチャンプとの関係なんかには、次代へのバトンタッチ的な色彩も感じたりします。
ここら辺、「グリード」につながる要素があるとも言えるかな?
ま、僕自身にとっては、
「50代のおっさんが、立ち上がる」
っつうところに感動するわけですがねw。