鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

存外骨があります:読書録「ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論」

・ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論
著者:ヤマザキマリ
出版:集英社新書

ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論 (集英社新書)

ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論 (集英社新書)


ヤマザキマリの漫画は独特な「線」のタッチが今ひとつ感覚的に合わない気分が拭えないんですが、見方やスタンスの取り方の独特な具合は結構好きだったりします。
…というわけで、漫画以外では「男性論」に続く新書。
ルネサンスを支えた人物を「画家」を中心に取り上げ、作者の「偏愛」に沿って論じた列伝…ということになります。
「偏愛」の基準は「変人ぶり」ということですが、う〜ん、全員が全員、「変人」ってわけでもないようなw。自分が好きな人物を「変人」という括りでまとめるが故の無理な区分わけにも一部はなってるような気がします。
大体、どの人物も歴史に名を残してるわけですから、多かれ少なかれ一般の人とは一線を画する「何か」は持ってるでしょうしねw。


とはいえ、それぞれの人物に関して紹介されるエピソードや作者の視点は面白く、なかなか楽しく読めます。
休日の時間つぶし(失礼)に購入した新書なので、それはそれで目的は果たせて、
…と思いながら読み進めてたら、終盤にはちょっとした「棘」が置かれていました。
人文系の学科を減らそうとする日本政府の方針に対する批判が出てきたあたりで「おや?」と思ったんですが、最終章の「あらためて「ルネサンス」とは?」には、「ルネサンス」を通じた日本の現状に対する批判が込められています。


<宗教からまだ完全に自由ではない西洋人より、宗教概念が希薄な日本人の方が、精神的に自由だとはいえないと私は思います。誰もが既成の考え方に流され、「長いものに巻かれる」風潮は日本のほうが顕著です。いまの日本にいちばん欠けているのは、ルネサンスを育んだ懐疑的な精神ではないでしょうか。>


<国や郷土は誰にとっても大切なものです。しかし、その場所に対する排他的な執着心や、変化というものを嫌う鎖国的な日本の精神性を、私はどうも好意的に捉えることができません。>


いろいろな立場があるでしょうが、僕自身は結構近い感覚を持ってます。
ではどうすればいいのか?
「ルネサンス」の意味を定義しつつ、作者はこう言ってます。


<これまで「別にいいや」と思っていたこと、考えないほうが楽だと思っていたことと向き合い、そこで見つかった「ほつれ」を繕い直すように、自分の頭や手を使って教養や知識を改めて活性化してみる。自分の中ですっかり退化していた感覚を再生させるために、硬くこわばっていた殻を脱ぎ捨てる。>


「個人」としての「ルネサンス」というわけです。
「それだけでは…」とは思いつつ、「まずはそこから」とも思います。


まあ、小難しいことを考えなくても、楽しめる作品なのは確かですけどねw。