鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録:「学力」の経済学

・「学力」の経済学
著者:中室牧子
出版:ディスカヴァー・トゥエンティワン(iBook版)

「学力」の経済学

「学力」の経済学


<大規模なデータを用いて、教育を経済学的に分析する>「教育経済学」の観点から描かれた作品。
紹介されている実験やデータは他の「行動経済学」なんかの本でも紹介されているものも少なからずあって、そういう意味では(行動経済学関連の作品に興味がある人にとっては)「目新しさ」には欠けるかもしれません。
でもこういう感じで「教育」というテーマでひとくくりにしたものはあんまりなかったんじゃないでしょうかね?
そういう意味で、僕自身は知識の整理として本書は役に立ちました。
ま、色々物議を醸しそうなところも「なきにしもあらず」ですがw。


「習熟度別クラス」なんかは、日本の場合、「塾」や「私立中学(高校)」によって実現化してるところがあるんじゃないでしょうか?
一方でそこには「経済力」という厳然たる「必要条件」があって、そこが「格差」や「階層」につながりかねないところもあります。
「公立」における単純な「平等思想」が、現場での柔軟性を失わせ、そのことが「外部」(塾や私立)を伸張させ、さらに「公立」のあり方を歪にしつつある。
少なくとも大都市圏ではそんな傾向があるんじゃないかな、と。あんまり「金沢」だとそういうの、感じないんですがw。


いろいろ難しいところはあるんですが、ここに切り込んでいくなら「教師の質」でしょうか。
「外部」(塾や私立だけでなく、企業や社会もあります)との垣根を低くすることで、現場の活性化と質の向上を図り、そこから全体としての質を引き上げていくってのが、最も費用対効果も高く、現実的なのではないか...と僕なんかは思ってるんだけど、ここら辺には既得権益もがっちり絡んできますしねぇ。
切り込まなくても「外部」が機能しているから壊滅的な被害はすぐには起きず、それでいて「格差」と「階層」の拡大と固定化は進んで行って、不可逆な地点がやってくる可能性も...。


一方でこういう「実験」や「データ」に対する「懐疑心」もあります。
「統計」ってのは「解釈」によって成り立つってとこもありますからね。
そこに乗っかって、「教育」という非常に不可逆性の高い分野に急速な変化をもたらしていいのか?
ここら辺の難しさは作者自身が「ゆとり教育」に関連して論じています。
行くも戻るも止まるも、リスクと不安のある選択というのが、なんとも...。


ただ「実証的な実験を行い、データを積み上げること」
「データをオープンにし、多くの人間が分析をできるようにすること」
これは重要じゃないですかね。
特に後者は「統計の解釈」を多様化することで、「解釈誤りの暴走」を防ぐのに役立つと思います。
情報のかかえこみが、後になってどんなひどい目になるかってのは、東京オリンピック関連のあれやこれややら、VWの違法ソフトのアレヤコレヤやらで、最近「流行」にすらなりつつありますからね。


そういう意味で、作者の提言には耳を傾けるべき点があると、個人的には思います。
政府、その中でも文科省がどこまで認識してるのかってのは、甚だ疑問ではありますが。