鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「Google Boys」

・Google Boys Googleをつくった男たちが「10年後」を教えてくれる
編集:ジョージ・ビーム 訳・解説:林信行
出版:三笠書房(Kindle版)



Googleの創始者であるセルゲイ・プリンとラリー・ペイジの発言集。それに解説がついてるって感じです。
面白く読みましたが、薄いっちゃあ、薄いw。解説の内容もそんなにとんがったものでもないんで、Googleの経営者に興味がないと面白味はないかもしれません。あとマメにネットで情報をフォローする人も知ってることが多いですかね。
でも何となくIT周りの人材の考え方や指向性なんかを把握するには、結構向いてるんじゃないかと。
僕自身はその「雰囲気」を楽しませていただきました。


本書は本書として、Google絡みで最近考えたのはこんなこと。


ひとつはGoogleグラスの撤退。
いや、本当は撤退じゃないのかもしれませんが、「方向転換」がされたのは事実でしょう・
あれだけぶちあげしたものの方向転換するってのはナカナカ勇気がいることだと思いますが、プライバシーの話や使い勝手なんかを考えると、個人的にはやむを得ないかなとも思っています。
一方でウエラブルデバイスの可能性をGoogleグラスが世に問うたことは確かでしょう。
それが「メガネ」という形でなくても、ウエラブルデバイスはGoogleグラス以降、「市民権」を得たと思います。
要は「アドバルーン」としてはGoogleグラスは十分に役割を果たしたかな、と。
「アドバルーン」にしては引っ張ったなってのはありますがw。


もう一つは「邪悪なことはしない」というテーゼについて。
これは中国からのの撤退や、あるいはプライバシーがらみでのGoogleグラスの評価なんかにも絡んでるのかもしれません。
なんだかんだで批判はありますが、僕自身はこのテーゼに関してはGoogleは本気だし、「遵守しよう」と強く思ってると考えています。
でも「邪悪」という評価は、どの基準に沿って判断されるんでしょうね?
フランスでの風刺画めぐるテロ事件のことを考えると、「価値観の多様性」とそのなかでの「正しさ」のあり方の難しさを改めて考えさせられます。


もちろんGoogleだってそんなことは分かっているはず。
でもシリコンバレーの中でさえ「とんがってる」Googleの思想は極めて西洋的とも言えるでしょう。
彼らが言う「邪悪」に普遍性があるのかどうか。


シャルリーの事件を目前として、そんなことを考えさせられました。
ま、「普遍性」を云々すること自体が西洋的思想の極みかもしれませんが・・・。


なんにせよ、もはや我々がGoogle抜きの生活に戻ることはできないでしょう。
だとすれば、
「Googleとは何か?」
を考えることは、自分自身をめぐる圧倒的な環境を把握し、自分の立ち位置を決める上で非常に重要なことなのではないかと思います。
そういう観点からは、結構便利な本ではないか、と。


すぐに読めますしねw。