鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「教養としてのプロレス」

・教養としてのプロレス
著者:プチ鹿島
出版:双葉新書

教養としてのプロレス (双葉新書)

教養としてのプロレス (双葉新書)



連休中に高校卒業30周年の同窓会が開催されました。諸事情あって僕は参加出来なかったんですが、FBにUPされる「オッさん」面を懐かしく眺めているうちに、大昔の思い出がアレやコレやと…。
そんな中で本書を読んだりしたもんだから、何か「懐かしく」「恥ずかしい」記憶のオンパレードみたいな感じになっちゃいました。
「ま、それもいいか」
と思えるようになったのは、僕もそういう歳になったと言うコトですな。



とは言え、中高時代はあんまりプロレスにハマってはなかったんですけどね。僕の「プロレス時代」は大学時代、それから最初の東京勤務の時代ですから、80年台半ばと90年台半ばから00年あたりって感じでしょうか。
特に後者は毎年「1.4東京ドーム」に出かけてて、気合いも入ってたように思います。
でもその後の福岡勤務時代からは何と無く足が遠のき、結局は、
「漠然と動向は眺めてるけど、試合観戦からは足が遠のいている」
って感じになりました。
今現在は、その動向すら「サッパリ」ですね。



そういう人間が本書をどうこう言うのは筋違いかもしれませんが、でも面白かったですよ。
端的に言えば、
「プロレスにズッと付き合い、見て来た人間が会得した『複眼』的な物の見方による社会評論」
ってとこでしょうか。
「会得した」というか、「会得しせざるを得なかった」というか…w。



でもこう言う「懐の深い視線」って言うのは、今だからこそ必要されてるとは思うんですよ。
何か、
「白黒はっきり」つけなきゃいけない風潮とか、
「正義」を振りかざした他人への断罪とか、
どうも人間関係のベースがギスギスし過ぎてるように思うんですよね。
その裏腹としての「スピード感」について一定の評価はするものの、「それで果たして、みんな幸せになってんのかなぁ」って気分もあって。
そう言うところに対する異議申し立て(決して声高ではないけど)が、「プロレス的な物の見方」にはあるんじゃないか、ってのが本書の論調の向こうには見えるように思います。



まあ、とは言っても、
「じゃあズブズブの人間関係/人間力の世界がいいのか」
と言われると、これも完全には肯定出来ない。
そう言う世界の胡散臭さや不合理さ、その中に生じる陰湿な圧力…こう言ったコトも「プロレス者」はよく知っているでしょう。
ここまで含めた「複眼」的見方/考え方を本書は語っています。
「正解はない。でもそれでも…」
それが「大人」ってもんかもしれませんな。



ゴタクはともかく、「プロレス」好きにはたまらない一冊。特に僕のように80・90年代を知ってて、最近の動向に疎い人間にとっては、実に楽しい作品だと思います。
もちろんプロレス初心者にも…かどうかは、正直わかりませんがねw。
「売り」はそうなってるけど、そこまで間口が広い作品じゃぁないようには思うんだけどなぁ。