鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「現代ジャズ解体新書」

・現代ジャズ解体新書 村上春樹とウィントン・マルサリス
著者:中山康樹
出版:廣済堂新書



iTunesMatchがナカナカ面白くて、手持ちのCDをドンドン登録しています(今、22,000曲くらい)。「どこでも聴ける」ってのはやっぱり楽しいし、思わぬ喜びもあります。
今、丁度ジャズ関連のCDをバンバンDLしつつ、通勤途上で(ジャンル=JAZZで)シャッフルして聴いているので、リアル書店でふと気になって購入してしまいました。
「村上春樹」の名前に乗っかった商売は好きじゃないんですが、作者はマイルス論で一定の評価もある人なんで、「ま、いいか」と。



基本的には「ウィントン・マルサリス」を中心とした現代ジャズ論です。村上春樹が過去に書いたマルサリスに関するエッセイ3本をフックに、「現代においてジャズをどう位置づけるべきか」について論考しています。
取り上げられる村上春樹のエッセイは以下。
「誰がジャズを殺したか」(「やがて哀しき外国語」収録)
「日本人にジャズは理解できているんだろうか」(「雑文集」収録)
「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」(「意味がなければスイングはない」収録)
本棚から引っ張りだしてきて、この3本にも目を通しながら読み終えました。



ジャズ評論家らしく、チョイと小難しい語り口もあったりして、「よう分からん」ってとこもあるんですが、個人的にはこんな風に読みました。



「現代ジャズがつまらなく感じるのは、ジャズを旧来の『ジャズの歴史』(ジャズ進化論)の中でとらえようとするから」
「ジャズはもっと広くブラック・ミュージックの文脈に視野を広げて見るべき。そうすると現代ジャズの位置づけ、面白さ(「ジャズ」と捉えられない音楽の)「ジャズ」としての評価等)が見えてくる。マルサリスの評価もこうした視野が不可欠」
「かと言って、『ジャズ』という枠組みを完全に取り払ってしまうと、音楽としての『豊かさ』『深み』を追求できなくなってしまうので、そこには組したくない」



・・・ま、相当な曲解かもしれませんがw。



僕自身はどちらかと言うと、今はジャズをブラック・ミュージックの中で聴いているようなところがあるので(だからこそiTunesMatchが面白い)、作者のスタンスからはしたら「薄っぺら」ってことになっちゃうかもしれません。
でもその方が面白く聴けるように、最近は特に思うんですよねぇ。
なんか眉間にシワを寄せて音楽を聴く(勉強する)ってのも、この歳になると面倒臭くなって来ますw。これが10代/20代だと、それなりの「勉強」は必要だと思いますけど。



という訳で、それなりに面白くは読んだんですが、完全に「同感」って訳でもないのが本書の感想です。
それよりショックだったのは、自分のライブラリーをあさってみて、「ウィントン・マルサリス」のアルバムを一枚も持っていないことに気付いたことでした。
そもそも本書を読む資格がないじゃんw。



さすがに一枚くらいは持っとこうかなぁ・・・と、今思ってるとこです。


僕ジシッは