鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「統計学が最強の学問である」

・統計学が最強の学問である
著者:西内啓
出版:ダイヤモンド社(Kindle版)



統計学が現代で非常に重要なポジションを占めていることは理解してるつもりだったけど、それがどこまで実用的なレベルにあるか、って点については今ひとつ確信が持ててなかった。
「かなりのところまで」
ってのが本書の主張。
実際、その「自信」を支えるだけのところまで「統計学」は来ている・・・ようではあるw。



一種のワクワク感とともに読み進めてたんだけど、肝心の「回帰分析」のあたりになって「う〜ん・・・」。自らの数学的素養の薄さを痛感させられました。
まあ最後まで読み進めて、統計学のパワーについてはそれなりの実感を得るには至ったものの、この程度じゃ作者が求める「統計学リテラシー」を身につけたとあ言えんだろうなぁ。
下手したら、「統計学」を「魔法」のように使っちゃうかもw。
それは今の「ビッグデータ」信仰とそう変わりがないだろう。
(そういう危険性に認識があるだけマシかもしれんが)



最近の風潮として「ビッグデータ」を有り難がる流れがあるけど、(意外にも)本書のスタンスはそれには「懐疑的」。
データを扱うには「目的」と「解釈」が極めて重要であり、その観点からデータそのものを有り難がっても意味がないということを作者は強く主張している。
言い換えれば作者が語る「統計学」は、この「目的」と「解釈」を重視している訳だ。
実利につながる考え方の基本がここにはある。



自分自身の日常の仕事を考えても、この「統計学」的な視点がどこまで活かされているかはかなり疑問だ。
それは日本の政治や行政も同じだろう。
「データは重要だけど、見方や解釈でどうにでもなるからなぁ」
いわゆる「理屈と軟膏はどこにでもつく」。
これは事実だし、忘れては行けない視点だが、同時にその段階に至るまでのFACTの積み上げを軽視する視点もこの考えには含まれている。これは思考のベースをないがしろにする考え方だし、実に危険なことでもある。
「現代統計学」はこのFACTのエリアを増やしてくれている。
だとすればそれを尊重することによって、より良い社会や組織を組み上げることができる段階に我々は到達しているのではないか?
・・・要はそういうことなんじゃないかなぁ。
リテラシーの足りない僕でもそう思いますw。



少なくとも政策や組織運営において、こういう「統計学」は駆使されるべきじゃないかね。
「民主党政権」という実験に失敗し、実務家政権としての「自公政権」を日本は選んでいる訳だが、この「実務」には既得権益との癒着も含めた曖昧さがつきまとう。
そこを透明化し、打破する一つの視点として、「統計学の駆使」というのがあり得るんじゃないかと思うんだけど、どんなもんだろう?



なかなかハードルはありそうやけど。