鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「国家はなぜ衰退するのか」

・国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の期限<上・下>
著者:ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン 訳:鬼澤忍
出版:早川書房(Kindle版)



いやぁ、面白かった。
「上・下巻」の結構大部な作品なんで読み終えるのに時間はかかったけど、ぜんぜん退屈しなかったよ。
こういう刺激を受けた作品にはジャレド・ダイアモンド氏の著作があるけど、それと並んで、「現代性」という意味ではそれ以上に興味深く、楽しめる作品だった。
こういうのはKindle版に限るね。持ち運びが楽だからw。



<本書で著者たちはまず、長期的な経済発展の成否を左右するもっとも重要な要因は、地理的・生態学的環境条件の違いでも、社会学的要因、文化の違いでも、いわんや人々の間の生物学的・遺伝的差異でもなく、政治経済制度の違いである、と主張し、それを歴史的な比較分析でもって論証していく。>(解説・稲葉振一郎)



その「政治経済制度の違い」を作者たちは、
「包括的政治制度」「包括的経済制度」
「収奪的政治制度」「収奪的経済制度」
に分類し、前者の組み合わせによる好循環が「繁栄」につながり(西洋や日本もここに入るかな?)、後者の組み合わせによる「悪循環」が「貧困」をもたらすと主張している(サハラ以南のアフリカや南アメリカの一部諸国)。
その論証は歴史的な事象を取り上げながら具体的・実際的であり、その延長線から「収奪的政治制度」と「包括的経済制度」の組み合わせによって目覚ましい経済成長を続けている「中国」に関して、「持続的ではない」と断じている。最近の中国の状況を見てると、「そうかもね」って感じではあるね。
(「包括的/収奪的制度」は「既得権益」との関連性がある。
この点にフォーカスすると、日本が「包括的政治/経済制度」の好循環の恩恵をどこまで享受してるか・・・って気分にもなる。
正直なところ、未だに収奪的制度の痕跡が払拭し切れてない部分が少なくないんじゃないかね。
勿論、どんな国家も完全に収奪的制度を払拭できてはないだろうけどね。(そこに中央集権的機能が求められることからも))



作者たちは繁栄と貧困において「地理的・環境的要因」に重きを置くジャレド・ダイアモンドに批判を加えている。
その論拠は結構納得感ある内容になってるけど、一方で「それって歴史的なスパンの差なんじゃないの?」って気がしなくもない。
ダイアモンド氏の視点は(もちろん「現代」につながっているのは確かだけど)有史以前からの大きな地球的な視座に立っているのに対し、本書の視点は(政治・経済制度を取り上げるだけに)有史移行、特に中世から近代にかけてが対象のメインとなっている。その視野の差による作品論拠の差異って言うのが一番大きいじゃないかなぁ・・・と。
批判されたジャレド・ダイアモンド氏が本書に賞賛の言葉を寄せてるのも、そこら辺なんじゃないかなぁ。



見方を変えると、作者たちの主張は極めて「人間的」であり、「政治的」であるととらえることもできる。
作者たちは「包括的政治体制」と「包括的経済体制」の組合合わせは「偶然」に成立したものであり、その背景には長い「歴史的背景」があるとしている一方で、だからといって宿命論的な「悲観論」に陥ることはないとも主張しており、ここに「変革」の可能性を挟んでいる。
そこが本書の「面白さ」であり、「希望」なんだけど、見方によっては「政治的」とも。
「中国」に対するスタンスなんかは、その色合いが強いように感じるよ、実際。



まあここら辺は読む側がどういう風にとらえていくか、かな。
僕自身は「包括的」/「収奪的」って切り口は、こうした国家論だけじゃなくて、身近な「組織論」にも適用できるような気がして、興味深かったよ。収奪的・包括的制度における中央集権的体制の役割・・・なんかも考えさせられるよなぁ。
国家論・組織論を考える上で、実に有効な視座を与えてくれる作品であるのは間違いないのではないか、と。
「西洋的史観の押しつけ」
って見方もできるけどねw。