鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「ノマドと社畜」

・ノマドと社畜 ポスト3.11の働き方を真剣に考える
著者:谷本真由美
出版:朝日出版社(Kindle版)



新しい年度が始まり、新しい人材が職場にやってくる。
まあ、そういうタイミングでもあるので、ちょっと読んでみた本。
僕自身は今更「ノマド」とか追いかけようもないんだけどねw。



本書の主張は割と単純。
「ノマドは甘くない」。
言葉というのは不思議なもので、その意図がないとしても、「名付け」によってその本質を隠蔽してしまう効果がある。
「ニート」とか「フリーター」なんかもそうだけど、「ノマド」にもその傾向はあるね。
本質的には「個人事業主」であり、まあチョイと格好を付けるなら「フリーエージェント」なんだけど、これらの言葉が持つ「専門性」、「プロフェッショナル」としての「高い知識とスキル」そして厳しい「自立能力」が、「ノマド」という言葉からは伝わってこない。
しかし「ソレ」こそが最も「ノマド」という生き方に重要なのだ・・・と言うのはが作者の主張になる。



全くその通りだと思う。
「フリーター」の生き方のバリエーションとして「ノマド」が語られてるような印象があるけど、実際には両者の間には深い隔絶があり、ここを乗り越えることことが最も難しいのだ。
「『ノマド』は『格差社会』と関連しており、何物をも持たない『若者』にとっては最も厳しい結果をもたらす」といったことも語られてるけど、『ノマド』ブームを支えているのは「若者」なんだよなぁ。
「分かってんの、ホントに?」
ってのが作者の執筆の動機の一つなんだろうね。



その一方で「ノマド」的な働き方が社会の中で広がっているのも事実だろう。
それは我々「社畜」にも影響を及ぼしてくる。
国内の動きだけではなく、全世界の動きが、保守的な働き方をしている労働者の「場」を奪って行くのだ。
広く言われていることではある。
「グルーバリズム」とはそういうものでもあるのだが、(真の意味でプロフェッショナリズムを持った)「ノマド」が、ゼネラリストである「社畜」の居場所を奪って行く。
本書の描く世界においてはそういうことになるのだろう。
いやはや、何とも・・・。



「労働規制の緩和」等も語られる中で、本書のような世界観は日本にも根付いて行くのかもしれない。
イタリアやスペインで起きているように、「経済危機を契機として労働賃金の下落が実現化し、労働者の生活レベルの低下と引き換えに経済の復活の兆しが見える」なんて動きと相まって、新しい「働き方」の階層化の動きが生まれるのかも・・・。
(一方には真に実力のある者による「ノマド」があり、「持てる者」(経営層)は「ノマド」と「(労働賃金の下落し、その範囲も広がった)単純労働者」を活用して収益を生みだして行く・・・)



社会がどういう方向に向かって行くのかということと、個人としてどういう道を歩むかについては必ずしも同一に語られるものではないが、本書は「個人」としての生き方に対してアドバイスを与えてくれる内容になっている。
その道が社会としての「幸せ」に繋がっているのかは分からないけど、一読の価値はあると思うよ。