鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「ワーク・シフト」

・ワーク・シフト 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>
著者:リンダ・グラットン 訳:池村千秋
出版:プレジデント社



「2025年?えらい先の話やなぁ」
と最初は思ったんだけど、考えてみればたかだか13年後のこと。
僕が社会人になって25年になろうとしてる訳だから、その折り返しくらいの先の話だ。
遡れば福岡にいた頃?
こないだのことやんw。



もっともその頃でさえ、今とは仕事を巡る環境は大きく違っていた。
本書では未来図との比較で「1990年」のビジネスシーンが登場するけど、僕が社会人になったのは「1988年」。
パソコンどころか、ワープロすら職場にはなく、携帯電話も勿論メールも夢物語。
デスクでガンガン煙草を吸ってった時代だ。
主観的には社会人になって、それほど大きく変わったようには感じてないんだけど(転職経験もないし)、振り返って考えてみれば恐るべき変化だ。
そして勢いを増す社会変化の状況を考えれば、「2025年」における働き方が今とは全く変わっちゃってる可能性も少なくないだろう。



その頃、僕は「60歳」?
うーん、まだ現役だろうなぁ・・・。



本書で作者が未来予想図を考える上でピックアップしている要因は以下の五つ。

要因1 テクノロジーの深化
要因2 グローバル化の進展
要因3 人口構成の変化と長寿化
要因4 社会の変化
要因5 エネルギー・環境問題の深刻化

これらの要因について、ひとつひとつ具体的に解説した後、その要因を踏まえた「未来予想図」を、
「漫然と迎える未来」の暗い現実

「主体的に築く未来」の明るい日々
という2パターンで物語り、その「明るい未来」を手にするため必要な「働き方」の変革として、以下の3つの<シフト>を論じている。

第一のシフト ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ
第二のシフト 孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ
第三のシフト 大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ



まあ、正直言うと、「目からウロコ」みたいな展開はないよw。
予想される未来も、現実の延長線上としては十分想像の範囲内。
むしろ「暗い現実」のリアリティに比べて、「明るい日々」は何だかつかみ所がないところもあったなぁ。
本質的には差異は思ってる以上に少ないようにも感じるし。



働き方の「シフト」も、整理してみれば最近の自己啓発本の骨子に通ずるところがある内容に思える。
マズローの引用なんかも、何だかデジャヴ。



<私たち一人ひとりにとっての課題は、明確な意図をもって職業生活を送ることだ。自分がどういう人間なのか、人生でなにを大切にしたいのかをはっきり意識し、自分の前にある選択肢と、それぞれの道を選んだ場合に待っている結果について、深く理解しなくてはならない。そのためには、自分が望まない選択肢にきっぱりノーと言う勇気が必要だ。自分が大切にしたい要素を優先させる職業生活を送れる場を積極的に探す姿勢が必要だ。「普通」でありたいと思うのではなく、ほかの人とは違う一人の個人として自分の生き方に責任をもち、自分を確立して行く覚悟が必要だ。>(P.371-372)



それって「明るい」の?
結構、しんどそうだけど・・・。
誰も彼もが孫正義やホリエモン、勝間和代になれやしないってことに僕たちは気づいている。
そういう人間にとって、「2025年」に待っているのは、「暗い現実」でしかないのだろうか?

・・・まあ、そうかも。
少なくとも、企業は従業員を「子供」扱いすることからは降りようとしてるのは確かなようだからね。



本書の基本的な考え方には新自由主義的なスタンスがあると思う。
僕自身はもう少し社会変革がなされるべきだと思うし、特に「第二のシフト」の中で上げられているコミュニティの形成については、個人の努力だけに還元されない社会的/政治的アプローチが語られるべきなんじゃないかと考えてもいる。



でもそれは僕の「希望」だからね。
「希望」を「現実」にする努力を忘れちゃいかんけど、「希望」で「予想」を曇らせる愚をおかしても仕方がない。
そういう観点から、本書の「未来予想図」は結構リアリティがあるかなぁ。

それを踏まえて、個人としてどうあるべきか。
どのような社会を迎えることを望み、「今」何をなすべきか。

それは本書の論旨から離れて語ってもいいことなんじゃないかね。



まあ、色々考えさせられる一冊であることは確かでした。