鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

One more thing.

先週は同じ職場の若手(5年目以下)と話をする機会がありました。
近い年次のメンバーを集めて、会社での仕事の幅の広げ方みたいなものについて語ってもらうんですが、それはそれで貴重な時間であったのとは別に、ふと気づいたことがありました。



「彼らが『新人』のころと、僕が『新人』のころじゃ、オフィス環境が全然違うんだ」



僕が新人のとき、男性社員の多くはデスクでバカバカ煙草を吸っていました。(勿論僕も)
土曜日の半ドン出勤もあったし、職場の飲み会、職場旅行に運動会・・・。
懐かしいやら、何やらです。



そしてデスクの上に、パソコンはありませんでした。



社内のメモは勿論、お客さんに提出する企画書ですら手書き。
電卓片手に、鉛筆で書き記しながら見積もり計算していました。
かろうじて使われてたのはLotus123。
ペラッペラの8インチフロッピーをオフコンに突っ込んでました。
ワープロでメモを書いた先輩が変人扱いされたのは、僕が入社2年目か、3年目くらいのときでしょう。



いまや全社員のデスクの上にはパソコンが一台。
企画書はパワポにワード。
計算はエクセル。
手書きのメモなんか書いた日にゃ、誰も読んでくれないでしょうねw。



20数年のこの変化の陰に、確実に「スティーブ・ジョブズ」がいます。



多くの人が言ってるように、ジョブズは傑出した技術者ではなかったのでしょう。
しかしコーディネートとプロデュースにおいて、飛び抜けた存在だったのは確かです。



オフィスで僕が使ってきたのはズッとWindowsですが、PCの方向性を決める役割の少なからずの部分はAppleが担ってきたんじゃないでしょうか。
そこにオリジナリティがどこまであったのかは分かりませんが、それを「選択」する「目」がAppleには、ジョブズにはありました。



そして一度、Appleを追われたジョブズは、今度はiTunesを核にして、PCのエリアを延長するディバイスを次々と発表します。
iPod、iPod nano,shuffle,そしてiPhone、iPad。
これらの製品は僕も早い段階から手にしていました。(一番最後になったのがPC=MacBookだったりします)



そしてそれらをPCの鎖から解き放つiCloudの扉を開いたところで、ジョブズは去って行きました。
56歳。
僕より10歳しか上でないこの人物が成し遂げたことを考えると、少し気が遠くなります。



<死は我々、皆が共有する行き先だ。そこから逃れた者はいない。そして、それはそうあるべきなんだ。死は生命に取って唯一にして最高の発明なんだ。これは生命に変化をもたらすもの。古いものを取り除き、新しいものへと道を開くんだ。>



有名なスタンフォード大学のスピーチでジョブズは「死」について語っています。
彼が言う通り、「新しいもの」がいずれは登場してくれるでしょう。
それこそがiCloudの意義なのかもしれません。
それでも、
もう少し彼が示してくれる「未来」を見ていたかったな、
と。
見も知らぬ「おっさん」の死に、予想以上に衝撃を受けてしまったのは、それ故かもしれません。



昨日、iPhone4Sの予約をしました。
ジョブズが登場しない発表会では「One more thing」はありませんでした。
それが意図的だったのかどうか。
それは分かりませんが、ジョブズは今回も確かに「One more thing」を示してくれたように思います。
偉大な導き手が退場した後の「未来」。
それが幸せなものとなるかどうかは、我々次第・・・。