鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「慈悲の怒り」

・慈悲の怒り 震災後を生きる心のマネジメント
著者:上田紀行
出版:朝日新聞出版


おそらく、今東京で生活する僕の気分を最も適確に分析してくれている作品。

震災後、東北地域の被害に心を痛めながら、福島原発の状況に不安を覚えつつ、東京で生活する社会人っていうのはこんな感じなんだと思うよ。
介護状態にある母親を抱えるために東京を出て行くことはできないが、幼い子どもたちと妻を3月の下旬の2週間、放射能のことを考えて四国に避難させた作者の気持ちは物凄く良く分る(それが「正しかったか否か」は問題じゃない)。
その共感が本書を身近に感じさせる要因となっているのは間違いないだろう。



作者が言っていることは、それほど突飛なことではない。
被災者への共感と、放射能への不安から、モヤモヤしたものを抱えざるを得ない人に対して、

「天災と、人災を区分して考える」

「天災に対しては徹底的な支援。人災に対しては原因の分析と責任の追及」

という風に状況の分析・区分することを主張している。

その上で、

「非難を加えるべきは『人』ではなく『システム』」

とし、そこで「慈悲の怒り」を論じる。

全くもってその通り。
我々が、現状の「モヤモヤ」感を超えて、この複雑な事態に対峙するには、こんな風に考えるしかないだろう。



まあ読んでて懸念を感じないでもないけどね。

「天災」と「人災」の区分、ってところでは、福島原発での事故の推移を「人災」と区分しているんだけど、ここはそんなに単純化してもいいものなのかどうか?
事実、作者自身の筆致も、東電経営陣に対する非難は、感情的になりすぎている感じもある。
勿論、「慈悲の怒り」として、そういった「個人攻撃」が重要ではないんだとの論調はあるんだけど、ここには過度の「個人攻撃」に繋がりかねない危険性があると思う。

世間の論調の多くはそういう方向に流れていると言う状況もそれを後押ししているところがあるしね。(本書ではそういった日本社会のあり方に対する批判もあるんだけど)



そういう意味では本書の出版は少し「早すぎた」のかもしれないな。
「慈悲の怒り」によって、東電を語るには、少なくとも福島原発の収束が見えてきたタイミングを待つ必要があるだろう。

ただその一方で、(僕自身を含めた、主に関東地区で生活する)多くの人が精神的に少し変調を抱えた状況に置かれているのも事実。
そこから抜け出るための「気付き」を与えるために、本書は一刻も早く出版されなければならなかった。
作者のスタンスはこっちだろう。
僕自身も、懸念は懸念として、この作者の立場を支持したい。



この作者は震災前から日本の「自殺者問題」について色々な発言をしていた人で、毎年3万人の自殺者(この人数は東日本大震災の被害者数を越えている)を出す日本の現状を「第三の敗戦」(第一が太平洋戦争、第二がバブル崩壊)と位置づけており、共同体によるセイフティネットが働かない現状に対して警鐘を鳴らしていた。
そして東日本大震災からの「復興」を、この「第三の敗戦」からの「復興」に重ねることを主張している。
ココらへんは宮台真司氏が主張してることなんかとも重なるところがあって、傾聴に値する意見なんじゃないかなぁ。
確かに、「被災者の長期的な支援や、地域の復興が、少子高齢化と経済の縮小が進む日本の今後において成り立つためにはどうすればよいか」。
これは地域共同体のあり方の議論に重なる課題認識だと思う。



さて、そんな風に僕は本書を共感を持って読んだんだけど、関東以外に住んでる人はどんな風にこの本を読むのかな?

同じような共感を持ってもらえるのか?

それとも、

「考えすぎなんじゃないの?」

と突き放されるのか?

そんなこともチョット気になります。