鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「そのときソーシャルメディアは何を伝えたのか?」

・「検証 東日本大震災 そのときソーシャルメディアは何を伝えたのか?」
著者:立入勝義
出版:ディスカヴァー携書


「ソーシャルメディア革命」の著者が、海外在住の視点から、今回の「東日本大震災」において「ソーシャルメディア」がどのように働き、どのような影響を与えたか、その結果、「ソーシャルメディア」がどのように変質し、それが社会にどのような影響を与えるのか、について、日本・海外の両方の視点から論じた作品。



前作もそうなんだけど、この作者の場合(勿論取材も積極的にしているんだけど)自分や関係者の経験・体験・意見をベースにして論を積上げていく傾向が強いと思う。
その分、「論」としては弱い部分が感じられるんだけど、一方で地に足が着いた具体性は強く打ち出されるというのはある。
震災からまだ数ヶ月と言う段階で、こういうスタンスで検証をしてみるっていうのは丁度いいかもね。
自分自身の経験と重ねながら、実に興味深く読み進めることができた。
特に海外で、ソーシャルメディアを通じて「震災」や、「日本人」「日本政府」がどのように語られていたかって視点は、あまり国内で接することはないので(ま、僕が英語が得意で、Twitteなんかで積極的に外国人をフォローしてたら様子は違ったかもしれんが)特に面白かったよ。
こういうところにこの作者の「存在意義」みたいなものがあるっていうのは、確かかもしれない。



TwitterにしてもFacebookにしても、その存在感を日増しに増しているって言うのは実感しているところ。
震災直後から一ヶ月くらいはTwitterがライフラインに近い存在となってたのも、個人的には「その通り」って感じだ。(Facebookを本格的に使うようになったのも震災後だ)
勿論、「ネット世論」の限界と言うのは相変わらず感じているものの、ネット利用者が単なる「マイノリティ」として位置づけられるだけではなく、そこに「情報格差」という視点が持ち込まれるようになったのが、震災後のソーシャルメディアを巡る変化じゃないかと感じている。(つまり単なる「少数派」「変わり者」wではなく、そこには一定以上の質の「情報」も集まってると言う認識が広まったってコト)
マスメディアとソーシャルメディアの距離感が縮まってるあたり、その典型じゃないかなぁ。
ゆり戻しは必ずあるし、「限界」も見えてくると思うけど(そこら辺は、まずは「デマ」に出てきている。本質的にはITとの距離感による「情報格差」の問題が一番大きいと睨んでる)、「流れ」はかなり強まってると思うよ。



本書は「理論」構築というよりも、「事実」「事象」の収集というスタイルの作品。
でも「理論」的なものは、もう少し時間が経過してから書かれるべきものでもあるだろう。
その前段階に位置づけられるのが、こういう作品になる。



「ソーシャルメディア」がこれからどういう影響を社会に与えていくのか?

そこら辺に興味があるようなら一読はおすすめです。