鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

20年前に作ってなくて良かった、と僕は思う。

先週月曜、大江戸線が人身事故で朝ストップした時、迂回ルートでの通勤中に観ました(3分の1は帰りだけど)。
こういう時もiPhoneでの映画鑑賞は使えます。
ま、あんまり会いたい目じゃないけどw。


「ラスト・ソルジャー」



ネットで後で調べたら、ジャッキー・チェンが20年前から温めていた企画とか。
20年前に作ってたらどうだったでしょう?
溌剌としたジャッキーは、テンポの良い、笑える作品を作ってくれてたと思います。



でも一方で、本作の底調にある、ある種の「哀しみ」のようなものは、20年前では上手く表現できなかったんじゃないかなぁ。
20年前のジャッキー映画って、結構「勢い」で話を進めちゃうようなところがありましたからね。(その「勢い」が半端じゃないんで、ジャッキー映画は面白かったんですが)



将軍と、彼を追う青年の間にある「哀しみ」
二人の師匠の「哀しみ」
蛮族の、パートナーを殺された「哀しみ」
そしてジャッキー演じる兵士の、生きる「哀しみ」



本作もまたコメディであることは間違いありませんし、かなり笑えます。
アクションも(勿論、往年ほどじゃないにせよ)、体を張ってみせてくれるジャッキーぶりは健在。
それでも、本作を見終えての印象には「哀しみ」の陰が強く残ります。



香港映画の成熟に、ハリウッドでの成功も加えたジャッキー・チェンの豊富な経験。
それがこの「コメディ」と「アクション」に陰影を落とした作品を生み出したんじゃないかと思います。
衝撃のラスト?
でも確かにコレしかないでしょう。



そういう意味では、エンドロールのいつものNG特集はちょっと複雑な感じもしました。
勿論、なかったら寂しいに決まってるんですが、作品の余韻としてはどうかなぁ・・・とも。
これは原田知世の「時かけ」を最初に観たときにもチョット感じたなぁw。