鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

読書録「キュレーションの時代」

・キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる
著者:佐々木俊尚
出版:ちくま新書


RSSで流れてきたどこかのweb書評で「『ウェブ進化論』の次の時代を描いた」・・・みたいな評があって、購入した作品。
何となく副題を見て「食傷気味・・・」って事前には思ってたんだけどねw。


個人的には「ウェブ進化論」はインパクトのある作品だった。
どちらかと言えばITツールに関しては保守的だった僕が、iPhone・iPad・MacBookを購入するに至った遠因は間違いなくあの作品にある。


梅田氏のウェブに対するポジティブなスタンスは、現在の僕のスタンスにも大きく影響していると思うよ。(とか言いながら、そんなに先進的な訳でもないけどね。知識だってないしさ。あくまでも「スタンス」です)
それだけに現在の梅田氏はウェブのあり方に対して一定の距離感を持っているように見えることには関心があるし(iPadはベタ誉めだったけど)、その距離感を埋める「見方」が何かがあり得るのであれば、知りたいとも思う。



正直、本書が「ウェブ進化論」ほどのインパクトを僕にもたらしたかと言えば、「そこまでのことは・・・」って感じ。
ただウェブに対して距離があり、従って知識も、その「世界」に対する実感も薄かった頃に比べ、ウェブの利用頻度が格段な上がった今の僕がこういう作品からインパクトを受ける度合いと言うのは、昔よりも下がってるだろうな、っていうのはある。
その点を差し引いた上で、「梅田氏のウェブへの距離感」(ある意味それは「匿名性」や「衆愚」に発している)に対する本書が答えたり得ているのかという視点で評価するとすれば、一定程度は「Yes」なんじゃないかと。
その意味では本書は「『ウェブ進化論』の次」を描いた作品と言ってもいいのかもしれない。



勿論、本書で書かれていることはウェブの利用頻度が高い人にとっては「自明のこと」が少なくないだろう。
僕だって、そんな感じはする。
例えば本記事の冒頭に書いたように、僕は登録したRSSの中から本書に関する情報を入手している。
RSS登録と言うACTION、そこから情報の受け手になると言うあり方は、本書が示唆している一つの姿だろう。(こんなの基本の基本の部分だけど。「チェックイン」の活用は、僕は全く・・・w)
RSS登録をする時点で、僕はその書き手を「キュレーター」として選んでいるわけだ。
だがそれは「one and only」ではなく、数多くの選んだ「キュレーター」からの情報が「受け手」である僕に影響を与える。

作者が描く姿の入口はこんな感じじゃないかと勝手に思ってるんだけど、どうかね?w
そしてそういうウェブとの接し方をしてない人にとっては、かつて僕が「ウェブ進化論」に受けた衝撃を、本書から受けるかもしれないね。
「ウェブ進化論」だって、ウェブに詳しい人には「当たり前のことばっかり書かれてる」って言われてたもん。



まあこの世界がどういう風に転がっていくかは、作者自身が言ってるように分らない。
ただソーシャルメディアが充実してくる中で、本書が言う「キュレーション」(「目利き」みたいなもんかね)っていうのが重視されるのは間違いないだろう。
本書にも「千利休」が登場するけど、安土桃山時代に「茶道」を通じて利休がやってたことが正にそういうものだったし、それが「権威」を背景にせず、広がっていくのが「キュレーションの時代」なんかないかな、とも思う。



しかしこうなると問題は「時間」だね。
今でさえ既に僕にとっても、RSSで入手する情報に対して、どの程度時間を配分すべきかってのは、結構気を配っているところ。
今後、キュレーターが量的に広がっていく中で、どのようにそれらを捌いて行くべきなのか?

「情報を処理するところに目的があるんじゃない。情報は『幸福になる』ために使うものなんだ」

このスタンスを忘れないようにしなきゃね、と強く思う。
RSSの整理もしないとなぁ。



まあ力作なのは確かだし、「今読むべき」ってのも間違いない。
旬を逃さなくて良かったと思ってます。(「ウェブ進化論」だって、今読んだら結構間が抜けてるように感じるんじゃないかね)