鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

問題はやっぱりジジイなんだよな~:読書録「日本進化論」

・日本進化論

著者:落合陽一

出版:SB新書

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正直言って、「落合陽一」本はもういいかなと思ってたんですけれどもw、書店でパラパラ見たら結構面白そうだったので、つい購入してしまいました。

ベースなってるのは夏にニコニコ動画でやった「平成最後の夏期講習」と言うイベントのようです。

イベントの中心になったのは落合さんのようですが、すべて落合さんが仕切るわけではなく、いろいろなメンバーが各テーマについて論じています。

落合さんがコメントしてる通り、それぞれの内容や結論については落合さんとは違う視点もあるようです。ここら辺が本書の分かりやすさであり、良いところじゃないかなぁ、と。

まぁ、とは言っても「落合色」が強いのは間違いないですけどね。


取り上げられているテーマは6つ。


第1章「働く」ことへの価値観を変えよう

第2章 超高齢社会をテクノロジーで解決する

第3章 孤立化した子育てから脱却するために

第4章 今の教育は、生きていくために大事なことを教えているか?

第5章 本当に日本の財源は足りないのか

第6章 人生100年時代の「スポーツ」の役割とは?


テーマの掲げ方としては、結構いい感じなんじゃないかと思います。

これらについて

「今までの分野の課題」「今後の分野の課題」について洗い出した上で、政策的な側面および技術的な側面から問題解決の方向性を考え、それを踏まえて「その分野の未来ビジョン」を描き出す

と言うのが、このイベントの大きな方向性だったようです。(政策と技術で…ってのが「ポリテック」です)

そういう意味では、新書1冊で全体をカバーすると言うのはどうしても浅くなってしまいますが、課題抽出のためのデータの提示等、なかなか参考になるんじゃないかなぁと個人的には思いました。

僕個人としては小泉進次郎氏と落合さんが打ち出している「ポリテック」と言う考え方は、今後すごく重要だと思っていますからね。

(国会改革なんかを見ていると、スピード感と言う点では悩ましいものがあるな~とも思っていますが)

http://aso4045.hatenablog.com/entry/2018/11/02/212416


全体的に見て、改革の方向性というのは結構具体的なところも含めて「見えてる」があるなぁと思います。

一方で、これはなかなか悩ましいと思うのが、「シルバー民主主義」。

改革の方向性はあるけれど、それを潰す強い環境や勢力もあって、それがシルバー民主主義によって強い抵抗勢力になる。


<ポリテックを推進していくためには、日本全体にはびこる閉塞的で後進的なマインドセットを変えていく必要があります。前時代的なマインドセットから抜け出せない人たちは、変化を起こせるだけの力を持っていたとしても、時流に沿って自らの基準で判断できず、行動を起こせません。>


僕自身は、子供たちのことも考えて、ポリテックは強力に推進していくべきだと思っていますが、それでもまあ、前時代的なマインドセットにとらわれている事は間違いないでしょうねw。

政党で言うと、もちろん自民党もかなりまずいんですけれども、野党のほうもどうかなぁと思わざるをえません。(それがまぁ、「シルバー民主主義」の表れでもあるとも言えるんですが。でもこれって、今後一層強くなりますからね)

1番腹立たしいのはそういう環境。


小泉進次郎がんばれ。


そう言わざるを得ないっていうのも…。

 

(色々なところでシルバー民主主義は既得権益とつながってくるけれども、今後1番問題になるのは自治体におけるコンパクトシティに向けたインフラの縮小じゃないかと思っています。

個人的には、水道の民主化なんかも、こういう方向につながってくんじゃないかなぁと睨んでるんですけどね。)

 

 

 

で、何なの?:読書録「純文学とは何か」

・純文学とは何か

著者:小谷野敦

出版:中公新書ラクレ

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「青少年のための小説入門」を読んで、

http://aso4045.hatenablog.com/entry/2019/01/03/204440

ふと、「小説を読むってのはどういうことかなぁ」などと思ってしまい。本屋で目について購入。

小谷野敦さんの作品は全然読んでないんですけど。


<内容紹介

「純文学」とは何か?大衆文学、通俗小説というどう違うのか。芥川賞・直木賞とは何か。海外に純文学と大衆文学の区別がないというのは本当か。文藝雑誌に掲載されると純文学というのは本当か。文学の敵とは誰か。日本だけでなく海外文学にも目配りし、豊富な事例をもってこうした疑問に快刀乱麻を断つごとく答える、かつてない文学入門。>


読んでると、なかなか興味深く、面白い。

<日本だけでなく海外文学にも目配りし、豊富な事例をもって>というのはまったくその通りで、まあ学者らしい博覧強記を楽しむことができます。

でもって最後に思うのは、


「で、純文学って何?」w


「純文学」というジャンルというか、線引き・区分があるのは、作者にとっては確かのようです。

ただそれが「何なのか」は、読んでもちょっと分からない。

これはもう、こっちの頭が悪いだけなのかもしれませんが、読み終えても「純文学とは何か」の定義を見出すことはできませんでした。

でもまあ、そういう「もの」はあるんだなぁ、と。

そこら辺、「オリジナル性」みたいなもんと通じるところがあるのかもしれませんが、そう簡単に片付けられるものでもなく、ただ「この作者だから純文学」とか言うんじゃなくて、「作品」ごとに名付けて行くしかなく、名付けられたからといって、「上等」かどうか(何をもって「上等」とするかってのもあるけど)は何とも言えないと言うか…。

次から次に提示される事例を眺めながら、な~んとなく、そんな風に感じたりしました。


個人的には「純文学」ってジャンルに興味はないんですけどねw。

ただ「面白い本」と言うのはある。

この「面白さ」ってのは、「笑って、楽しめる」とか言うのとはチョット違ってて、ある意味「脳のどっかが刺激される」って感じでしょうか。

だから「小説」に限らず、「評論本」や「ビジネス本」なんかにも「面白い」ものはあって、そう言うのを探して読むのが僕の趣味ではあります。

ただそういう「面白い」中にも、読むのに「体力」が必要な作品があります。

「読んだら面白いんだろうな~」と思いつつ、体力がある時じゃないと手を出しかねる、そう言うのに「純文学」と言われる作品が(古典も含めて)多いかな、って気がしてます。

歳取ってきて、視力も弱ってる中、「体力」が落ちてきて、そういう本を読むのを避ける傾向があるってのが、今の僕の状況かなw。


本書も、まあ、「面白い」。


<辻邦生も怪しい例で(中略)普通なら純文学作家とは見なされないだろうが、東大仏文科卒で学習院大教授のフランス文学者で、ただしまともなフランス文学の業績があるわけではないが、またギリシャ彫刻のような顔だちで、そんなところで「得」をして「純文学」扱いされたのだろうと思う。>


オイオイ!w

具体的な事例の中にはこういう「決めつけ」もフンダンに出てきて、実に楽しめます。

作者の中に「純文学」の線引きはあるんでしょうが、だからって、それが「至上のもの」とも思ってないんでしょうね。

終章の「未来の「文学」」なんかは、見通す状況に関しては悲観的ですが、だからって作者自信が悲観してる風でもなく、突き放した印象があって、それはそれで僕は好きです。

ま、正直言って僕は自分が「面白い本」を読めればいいですし、何ならそれが「本」じゃなくなっても一向に構いませんからね。

「未来」のことは「未来」に考えてもらえば、それでいいと言う…w。


ま、楽ばっかりせずに、もうちょい「体力」つかった読書もした方がいいかな、とは思ってますが。

 

えべっさん…っす。

就業時間が終わって、会社のメンバーと堀川戎へ。

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ソッコーで出て、17:30には到着したんですが、もう結構な列が。

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公私ともに色々あった2018年。

今年は穏やかに過ごしたいと、お願い致しました。

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大阪勤務が浅いメンバーには「?」なイベントの様でしたがw。

 

お参りの後は天神橋商店街で飲み会。

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robata279
050-5595-0320
大阪府大阪市北区天神橋3-1-11
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270103/27096891/

 

安くて美味い店でした。

 

さあ、公私ともに今年もシッカリ頑張りましょう!

醍醐の国は加賀の設定:アニメ「どろろ」

prime videoを覗いてたら、この第1話がアップされてました。

お〜。

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「どろろ」

https://dororo-anime.com/

 

早速観てみましたが、なかなか良い雰囲気ではないですかね。

このキャラには意見が分かれるかもしれませんが、僕は割とOKかな。(原案は浅田弘幸とのこと)

百鬼丸は、もうチョイ大人の方がイメージだけど。

(16歳と言う設定だとこんな感じかも、ですが)

 

原作は「あにき…」のラストも含めて、絵的には素晴らしいんですけど、ストーリー構成はグダグダなとこも。(1話ごとにはレベル高いんですけど)

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さてここら辺、どう整理してくるのか。

魔神を「48体」から「12対」にしてますから、百鬼丸が身体を取り戻すまでが描かれるんでしょうが…。

多宝丸も出て来てますしね〜。

 

不安もありつつ、続きが楽しみにもなってます。

 

 

「死で人生は終わる、つながりは終わらない」:読書録「モリー先生との火曜日」

・モリー先生との火曜日

著者:ミッチ・アルボム  訳:別宮貞徳

出版:NHK出版(Kindle版)

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このnoteを読んで、興味を覚えて購入(DL)した作品。

https://note.mu/satonao310/n/ndb7c4d0f2720


死を間際にした教授の最後の授業というと、それこそ「最後の授業」という作品があって、かつて僕もすごく感銘を受けたんですが、

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本書はちょっと違いました。


「最後の授業」は先生が行った本当の「授業」。

本書は死に向かう先生に寄り添った日々の中から、得た「学び」の日々を「授業」と位置づけています。

「最後の授業」には先生の語る強いメッセージ性がありますが、本書の場合、モリー先生の「語り」以上に、モリー先生の語り口や姿勢、佇まいに柔らかな「メッセージ」を感じます。

一言で言えば、ここかなぁ。

 

<人を愛することをにみずからを捧げよ、周囲の社会にみずからを捧げよ、目的と意味を与えてくれるものを創りだすことにみずからを捧げよ>

 

決して後悔がないわけでなく、完全なる善人でもなかっただろうけど、モリー先生はこういう人生を生きようとして、生きた人だったんだな、と思います。

(それこそ「コレ」だけがメッセージなんじゃなくて、モリー先生の人生から浮かび上がってくる<何か>を最後の日々から感じ取るのが本書の読み方のように思いますが)

 

僕の父は去年亡くなりました。

心臓発作でしたから急のことではありましたが、何年も前から心臓の機能は落ちてきていたので、僕の方に「覚悟」はありました。

それでも、「もう少し、色々な話をしておきたかったな」という想いは、今も続いています。

まあ、その想いこそが「死で人生は終わる、つながりは終わらない」ってことなのかな、とも思いますけどね。

(多分、時が戻っても、僕はうまく父と話すことはできないだろうし、それはそれで僕たち「父子」らしいんじゃないかな、とも)

 

今という時代から見ると、モリー先生の考え方には「時代錯誤」なところもあるかも。

人が時代というものから逃れられない以上、それはそれで仕方がない。

でも「本質」は今も変わらず訴えるものを持っていると思います。

いや、「今」だからこそかも…。

 

PS  ジャック・レモンがモリー先生を演じた作品があるようです。

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ちょっと観てみたい気もしますねぇ。(NetflixかAmazonプライムあたりにならんものかな?)

分断と線引きの物語:映画評「虐殺器官」

原作の感想はこんな感じ。

http://aso4045.hatenablog.com/entry/20160922/1474497855

 

あまり覚えてないんですがw、割と原作通りだったんじゃないかな~。

長さが長さなんで、全部が詰め込めれてる訳じゃないけど。

 

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「虐殺器官」


本作ではテロを背景にして、先進国と貧困国の間の分断と線引きの物語が描かれています。


相手が「地獄」に落ちても、自分たちがハッピーならそれでいい。(偽悪的に言えば)

そのために敢えて「地獄」を作り上げる。


…「敵役」のロジックはこう。


難民に対する「壁」の話なんかを想起すると、そこには一定の底冷えするリアリティも感じます。


一方で、事態はもっと進んでいて、現実には今は「分離された」はずの先進国の中においても「分断と線引き」がなされつつあるようにも思います。


それこそが主人公がもたらした「先進国」における「虐殺器官」の起動なんでしょうか?


作者(伊藤計劃)がそこまで考えていたかどうか分かりませんが、そう言うトコまでリーチする「何か」が本作にはあったのかなぁ、などと考えさせられます。

 

まあ、だからって映画として「面白い」と言えるかどうかは別ですがね〜。

チョット観念的すぎるかな〜、テーマが。

「ハーモニー」よりはいい感じで作品世界は作り上げてますけどね。

結局、続けて読んじゃいました:読書録「紫骸城事件」「海賊島事件」

・紫骸城事件

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・海賊島事件

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著者:上遠野浩平

出版:講談社タイガ

 

「隙間時間ができたら」とか言ってたのに、一気に続きの2作品を読んじゃいましたw。

まあ、確かに家族の送り迎えが多くて、「隙間時間」が多い1日ではありましたが…。


「殺竜事件」の推理パートのところは<推理小説>として成立してましたが、続く2作は微妙かな?

確かに「推理」のパートはあるんですが、いずれも「異世界」のロジックが前提になっているトリック。

振り返ってみれば、チャンと「振り」はされてるので、それを踏まえれば「推理」出来るようにはなってるんですが、「ちょっとな~」ってとこはあります。


…あるんですが、じゃあ「面白くないか」っていうと、そんなことはない。僕としては「殺竜事件」よりこっちの方が楽しく読めました。

物語が展開するにつれて「異世界」の様相が広がってきて、それに関わる魅力的なキャラクターが続々登場…って感じなんですよね。

2作目の双子姉弟(特に姉)や魔女、3作目の海賊の頭領(彼は1作目で顔出しもしてましたが)あたり、実にいいキャラじゃないですか。

もっともその分、「主人公」であるEDの影は薄くなってて、現世と異世界のロジックの重なりという1作目のテーマはどっかへ行っちゃってる状況にはなっちゃってますがw。


続編はまだあるようですが、文庫化されてるのはココまで。

続きは文庫になってから、かな?

さて、広がってきた風呂敷。

どういう展開に持っていくんでしょ?