鈴麻呂日記

50代サラリーマンのつぶやき

サイバーパンクの夢?「キュリオス」、観てきました。

シルクドソレイユ「キュリオス」を家族で観に行きました。

お恥ずかしながら、僕はシルクドソレイユ初体験。

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中之島に特設会場があります。

サーカスはやっぱりテントですね。

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設定は「サイバーパンク」っぽい雰囲気。

それなりに「ストーリー」はあるんですが、正直「?」w。

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それでいて、圧倒的な「肉体」の躍動感に心踊らされるのは、「サーカス」の本質がシッカリあるからなんでしょうね。


30分の休憩を挟んで、約2時間半。

ワクワクする時間を過ごさせてもらいました。


家族も楽しかったようですよ!

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豪華絢爛、中身なしw:映画評「空海ーKU-KAIー」

あの原作をどうまとめるのか?

…と思ってたんですが、まあ「よくまとめたな」と言うか、「え、コレでいいの?」と言うか…。

 

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「空海ーKU-KAIー美しき王妃の謎」

 

コレ、映画の方の原題は「妖猫傳」。

それなら「なるほど」。

でも「化け猫物語にここまで金かけるんかい!」

とは思いますが。

 

とにかく映像の豪華絢爛ぶりはタップリ楽しめます。

「極楽の宴」の幻術(CG)満載の艶やかさにはクラクラ…。

 

一方、ストーリーの方は「?」。

なんかシーンが繋がってないようなトコもそこここに…。

 

まあそう言う映画ですなw。

物語のことは目を瞑って、ただひたすら、映像のマジックを楽しませてもらう。

それで実際、退屈はしませんでしたし。

 

しかしコレ、製作費、回収出来たんかいな?

懐かしいですな:読書録「花だより」

・花だより みをつくし料理帖特別編

著者:高田郁

出版:ハルキ文庫

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完結した「みをつくし」シリーズの特別編。

種市、数馬、野江、澪、四人を中心にした短編四編をまとめた一作になっています。


コメディタッチの種市編

ヒロインの想い人であった数馬のちょっと変わった妻の話

野江の「奈落の底の底」を見た過去の話

澪夫婦の大阪での苦労話


どれも読み応えがありました。

個人的には数馬の奥さんの話が面白かったですね。


あとがきによれば、このシリーズの続編は考えてないとのこと。

基本的に主人公を苦難にあわせ、そこからどう立ち直って行くかを描く作者ですから、もうこれ以上登場人物たちを苦しい目に合わせなくても…ってことでしょうw。

良いんじゃないですか。


澪の大阪での店は「四ツ橋」近辺にあったことになります。

いつか、そんなことを考えながらブラついてみますかね。

あんな美味しそうな店は、流石にないでしょうがw。

違和感はないです:映画評「プーと大人になった僕」

寄宿舎に入ることになり、プーたちに別れを告げたクリストファー・ロビン。

父の死や、結婚、戦争等の経験を積む中で、彼らのことを忘れ、日々を暮らして行くことに精一杯になり…

と、まあ、予想のつく設定。

で、その予想の範囲内で物語は展開します。

 

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「プーと大人になった僕」

 

原作好きには嬉しいトコも多々あるんじゃないか、と。

実写化されたプーたちも100エーカーの森も自然な感じ。

もうここら辺の技術には驚きませんなw。

 

全体としてはチョット緩いかな。

ラストもまあ、現代版おとぎ話風なオチっちゅう感じです。(時代設定は第二次大戦前でしょうが)

その緩さも含めて、「プーさん」なのかもしれませんながね。

 

オッサンたちの物語:映画評「さよなら、僕のマンハッタン」

「(500)日のサマー」「gifted」のマーク・ウェブ監督作品。

…って、この二作は見てなくて、「アメージング・スパイダーマン」だけなんですけどね、観てるのはw。(面白かったですよ)

 

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「さよなら、僕のマンハッタン」


ジェフ・ブリッジズのナレーターが挟まれる形式を考えると、物語全体が、彼の書いた小説…という見方も出来るけど、まあそこら辺はあまり踏み込まなくても良いかな?

別に「信頼出来ない語り手」の物語ではなさそうですし。

ただアート系の小説家の作品にして、「このストーリーはどうなん?」とは思いますけどねw。(一応「謎」はあるんですけど、ちょっと浅いと言いますか、何と言いますか…)


でも「映画」としては楽しめました。

構図とか、編集とか、音楽の使い方とか。(思ってたより、「音楽映画」じゃなかったですけど)

「ちょっとしたファンタジー」と思って観れば良いんじゃないかなぁ。そう思えば、ラストの落ち着きどころも、まあ…。


物語としては主人公の青年の「成長譚」。

でも推進力はオッサンたち(ジェフ・ブリッジズ、ピアーズ・ブロスナン、シンシア・ニクソン)の物語にあります。

これもまあ「ありがち」っちゃあ、「ありがち」ですがねw。

アルゴリズムとデータが「神」となる。…別にいいけどw。:読書録「ホモ・デウス」

・ホモ・デウス  テクノロジーとサピエンスの未来(上下合本版)

著者:ユヴァル・ノア・ハラリ  訳:柴田裕之

出版:河出書房新社(Kindle版)

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ベストセラー「サピエンス全史」の作者の最新作。

「ホモ・サピエンス」の歴史を概覧した前作の最終章を受けて、本作では「ホモ・サピエンスの未来」を予測しています。

前作の最終章にはちょっと物足りなさも感じてたんで、個人的にも「待望」って感じもw。

http://aso4045.hatenablog.com/entry/20161010/1476103086


ま、「感想」という意味では、HONZのこの感想が良くまとまってますw。

http://honz.jp/articles/-/44906

「人類を地球の支配者としたのは<虚構>(共同幻想)であった」

という主張を、「物語」的面白さで提示してくれた前作に続いて、本作も読み応えたっぷり&刺激もあり、興味深く読めます。

この手の本にしては「無類に面白い」ってのが、ベストセラーになる大きな要因と思うんですよね。


ぶっちゃけ、一言で本書の内容をまとめると、

「人類は、アルゴリズムとデータフローを核とする<データ至上主義>を共同幻想とする時代に向かっている。でもそのとき、人類が地球の<支配者>の地位に残れるかは分かんないよ」

ってトコじゃないでしょうか?

まとめすぎかもしれんけどw。


内容は内容として、本書を読んで僕が考えたのは「政治」のことでした。

本書の冒頭では、人類が過去最大の「課題」としてきた「飢餓、疫病、戦争」が、統計的に克服してきていることが記されています。

まあ、未だに貧しい国や地域、紛争地域あるわけですから、全ての人にとって克服された訳じゃもちろんないんですが、相対的にはそういう状況になっている。


これって多分、潜在意識的には我々も認識しているところであって、個別事案としての対処が必要なことは分かっているけど、政治的なイシューとしては優先順位を下げている…ってところがあるんじゃないか、と。

災害の際のボランティアの活動が活発なのに反して、それが反政権的な動きになることが少ないってのは、その反映なんじゃないか…と思ったりしてるわけです。

現状、反安倍政権的な動きは大勢とならないし、野党の支持率も超低空飛行ですが、そもそもの野党サイドのスタンスが間違ってんじゃないか、と思うんですよ。


もっとも「政治」というツールそのものがうまくアップデート出来てないってのもあるでしょうけどね。


<二一世紀に再びデータ処理の条件が変化するにつれ、民主主義が衰退し、消滅さえするかもしれないことを意味している。データの量と速度が増すとともに、選挙や政党や議会のような従来の制度は廃れるかもしれない。それらが非倫理的だからではなく、データを効率的に処理できないからだ。このような制度は政治がテクノロジーよりも速く進む時代に発展した。一九世紀と二〇世紀には、産業革命がゆっくりと進展したので、政治家と有権者はつねに一歩先行し、テクノロジーのたどる道筋を統制し、操作することができた。ところが、政治の動きが蒸気機関の時代からあまり変わっていないのに対して、テクノロジーはギアをファーストからトップに切り替えた。今やテクノロジーの革命は政治のプロセスよりも速く進むので、議員も有権者もそれを制御できなくなっている。>


与党も野党も、どの国も政党も過渡期になるってことなのかも。

なんか日々起きてるアレやコレやを考えると、納得感のある指摘でもあります。


じゃあ、どうすべきなのか?


なかなか難しい。

難しいんだけど、こうなってきている以上、「アルゴリズムとデータ」を活用するしかないのではないか、と。

その危険性を十分に認識しながらも、我々は次の世代に進んでいくには「データ至上主義」という<虚構>に頼らざるを得ないのではないか?


…これが「僕」の結論です。(作者は違いますよ)

もっとも、そのとき「スカイネット」あるいは「ビッグブラザー」がやって来るか…っていうと、「そうはならない」とも思ってるんですけどね。

AIったって、色々ですから。


ただ、

データとアルゴリズムを持つ層が「持つ者」として、「持たざる者」との間に絶対的格差が生じて来る

これは次の世代の「課題」として大きいと思います。

この「持つ者」が「ホモ・デウス」として人類に君臨する…ってことにはならないような気はするんですけど。


「格差問題」

やっぱコレがこれからの政治イシューなんじゃないですかね。

(「貧困をなくす」じゃなくて、「確実に所得・資産の再配分施策をワークさせ、機会の平等の確保に注力する」と言う意味において)


簡単じゃーないけどねぇ、コレも。

「営業会社」の陥る罠

スルガ銀行の第三者委員会の報告書。

https://www.release.tdnet.info/inbs/140120180907404978.pdf

 

さすがに全部読むのは骨が折れますが(ぶっちゃけ、読んでないw)、色々記事も出てて、概要が見えてきてます。

<背景にノルマめぐるパワハラの横行 スルガ銀 不正融資>

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20180908-00400462-fnn-soci

 

<解読スルガ銀報告書>

https://r.nikkei.com/article/DGKKZO35168660Q8A910C1EE9000

https://r.nikkei.com/article/DGKKZO35216880R10C18A9EE9000

https://r.nikkei.com/article/DGKKZO35259580S8A910C1EE9000

 

ネットの方もね。

http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65926027.html

 

「どこを切っても偽装と不正の金太郎飴」ですが、最大のポイントは、

「なんでこんな風になっちゃったの?」。

で、まあ突き詰めていけば、経営トップと現場の隔絶」が決定的だったと言うことでしょうか?

今となってはこんな記事も、「要は経営ゴッコだったってこと?」って感じにも。(去年の9月の記事なのに…)

<給料地銀トップ!スルガ銀行「結果につなげる経営会議」はここが違う>

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52889

 

そもそも岡野会長がモデルとしたウェルズ・ファーゴ自体が営業偏重の歪みからおかしなことになっちゃってます。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-04-20/P7HKZ76K50XY01

岡野さんがそのことを知らなかったとは思えないんですが、そこから我が身を振り返って…ってならなかったんでしょうかね?

それをするにも現場と距離がありすぎた…ってことかも知れませんが。

 

ただ銀行ビジネスモデルそのものが成長性の課題を抱えているのも確か。

スルガが追ったビジネスモデルは

<釣り堀に魚が10匹いないのに、10匹とってこいといわれる状況>(報告書)

<収益確保を最優先に、無理に不動産融資へカジを切った地銀は少なくないが、先頭を走ったスルガ銀は信用を求められる銀行の姿とは大きくかけ離れていった。>(日経記事)

では、どこに成長性を?

ここがシッカリしてないと、営業現場は歪んじゃいます。

 

メガは「まずは生産性向上」と言うことのようです。

個人の生産性、業務の生産性、そして「営業組織」としては「支店の生産性」。

http://aso4045.hatenablog.com/entry/2018/05/19/081109

三菱UFJのこんな話は「支店生産性」を考慮した末の戦略とも言えるのではないでしょうか?

 

<三菱UFJ、銀行跡地の再開発へ新会社 三菱地所と>

https://r.nikkei.com/article/DGXMZO35167620Q8A910C1MM8000?s=0

 

まあでもコレは体質改善・筋肉質化であって、ビジネスモデルはその上に構築していくもの。

それがどんなモノとなるのか。

その向こうにある「銀行ビジネス」は、「現在」とは様相が変わっちゃってるかも知れませんが…。